そんながんばり屋の彼女に、デビューは思いのほか早く訪れる。彼女が通って いたヴォイス・トレーナーの所へ、レコード会社やマネージメント・オフィスの人々がやってきた時に、紹介してもらえたのだ。話はそこからトントン拍子で進み、上京後 2年足らずで彼女はその夢を手に入れ、1988年「ホレました」でデビューする。
が、ことはそうはうまく運ばない。さらにまたここで、忍耐の日々が始まる。
「夢と現実というのは、こんなにも違うんだということを、やっぱり感じましたね。同期でデビューした方がレコード大賞の新人賞にノミネートされたりするのを、脇で指をくわえて見てました。 でもその悔しさをバネにして、3年後は見てなさいよと気持ちをかきたてたりして……」
デビューはしたものの、テレビに出られるでもない当時の彼女は、全国各地の カラオケ・スナック、喫茶を歌って回り、その場でCDやカセット・テープを売って歩くという日々を過ごす。一か所で40~50分歌うと、また次の店へ。それが1日に7~ 8軒も続くのだ。
「こんな山奥誰も来てないだろうなと思うような暗闇の中をしばらく行くと、民家があってお店があって、こんなとこお客さん来ないだろうなと思ってたら、町ぐるみでみなさん来てくださって。普通の民家で歌ったりということもありました」
他人が聞くと音を上げたくなるような日々だが、それでも彼女は歌える場があってよかったと、からっとした表情でいう。
「本当に歌うことが好きなんだと、自分で思いました。こうやって一生懸命やっていれば、いつかチャンスがやってくるんじゃないかなって、それを信じてやってました」